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式根島倶楽部

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モヤイの話 2

 蒲田です。蒲田は、「蒲田駅再開発のシンボルに是非!」と、はるばる新島からモヤイを寄贈されたのですが、どうも駅前広場のリニューアルで新しく置かれた「上昇気流」というオブジェができて、どうにも邪魔になってしまったらしいのです。がーん。

 とはいえ、蒲田の方でも、いくらなんでも寄贈されたものを捨てるわけにもいかず、ましてや壊すわけにもいかなくて困っていたらしいです。確かに困るわな。
 それで、モヤイ像の女の子の方は、区役所の駐車場の隅にぽつんと放置されていたのだそうであります。

 じゃあ、今もそこにあるのかな?というと、彼女はその後、数奇な運命をたどるのでありました…。

   


 15年ほど経ったある日。
 なんとTV番組で、モヤイ像挙げますという企画が。

 福岡放送制作の、所ジョージの『所的蛇足講座』という番組だったそうな。所さんの目がテン!の裏番組的な設定で作られた番組で、蛇足(いらないもの)を集めちゃえ~ということで作られたらしい。まあ、いろいろと無駄なものを紹介したりしていたようなのである。

 これは当時毎週火曜日深夜0:20から放送、所さんにIZAM(リニューアル後は降板)、上原さくら、などでお送りする番組でありましたそうな。(2000年春に終了)

 そこで、蒲田のモヤイをどなたかにお譲りします、という放送をしたらしいのですね。いくらいらないからって、そんな…(笑)

 誰も応募なんざしないだろうと思っていたところ、なんとこれに3000通もの応募が。

  世の中広いねえ。

 で、3月23日放映の総集編で、モヤイ像はなんと、3000分の1の確立を当てた青森の深浦町へ。蒲田のモヤイは15年経って、はるばる青森に運ばれたのでした。
 青森のウェスパ椿山という施設に。  ※リンク張ってあります。

 なんでも放映によると、輸送の時に眉毛を破損して(?!)眉毛をボンドでくっつけて、安置したのだそうです(管理人未確認情報)。ほんとかよ。

 
 そこの金属板には、以下のように記されています。


 ここウェスパ椿山に佇む「モヤイ像」は深浦町が『所的蛇足講座』(福岡放送制作)の視聴者プレゼントに応募し、幸運にも3,000倍の難関を突破し寄贈を受けました。
 伊豆七島新島の歴史とロマンを秘めた「方言」から誕生した「モヤイ像」は、昭和59年6月、新島村から東京都大田区蒲田東口商店街に友好の絆として贈られました。以来、JR蒲田駅東口の広場に鎮座し「モヤイ合う」蒲田東口商店街の人々の姿を見守り続けてきました。
 そして15年・・・。
 所ジョージさんがメインパーソナリティを務めるテレビ番組「所的蛇足講座」で全国に紹介され、視聴者にプレゼントされることになったモヤイ像は、縁あって大田区蒲田東口商店街から800キロの長旅を経て平成11年2月17日、深浦町にやってきました。そして、新島と蒲田東口商店街、深浦町の友好の証として、今、ここウェスパ椿山を安住の地とし、世界遺産「白神山地」と雄大な「日本海」を見つめ静かに佇んでいます。
 物言わぬ「モヤイ像」は、生まれ故郷新島から数えて実に1,000キロを旅してきました。人々の「モヤイ合う」心を結びながら・・・。
 モヤイ像の旅は、人々の心をつなぐ「結び」の旅にほかなりません。
 あなたとあなたの大切な人が「結ばれ」、「モヤイ合う」日々が末長く続きますように・・・。「モヤイ合う」蒲田東口商店街の人々の姿を見守り続けてきました。
 そして15年・・・。
 所ジョージさんがメインパーソナリティを務めるテレビ番組「所的蛇足講座」で全国に紹介され、視聴者にプレゼントされることになったモヤイ像は、縁あって大田区蒲田東口商店街から800キロの長旅を経て平成11年2月17日、深浦町にやってきました。そして、新島と蒲田東口商店街、深浦町の友好の証として、今、ここウェスパ椿山を安住の地とし、世界遺産「白神山地」と雄大な「日本海」を見つめ静かに佇んでいます。
 物言わぬ「モヤイ像」は、生まれ故郷新島から数えて実に1,000キロを旅してきました。人々の「モヤイ合う」心を結びながら・・・。
 モヤイ像の旅は、人々の心をつなぐ「結び」の旅にほかなりません。
 あなたとあなたの大切な人が「結ばれ」、「モヤイ合う」日々が末長く続きますように・・・。」


 ちょっとおかしいのは、その後に再び新島村からのコメントがあること。これ、蒲田駅前のものとちょっと違うので、引用…。上の「モヤイの話1」のプレートと比較してみても一興です。
 誰が書いたのか、今回は名前が出ています、名文だから、もう一回使ったんだろうなあ。ウェスパの画像でサガしたら見つけたのですが、いちおう書き写してみました。


 旅はいつも『思い出』が残る。新しい風景や見知らぬ人に会いたくて旅に出る。しかしそこで待っているのは『自分自身の内側』にほかならないことを発見する。新島のモヤイ像は心の片すみに放ってある『透明な旅の日々』と同じなのではなかろうか。
 身をひるがえして牙をむく自然を相手に私たちの祖先は、流人ともども漁に農に力を合わせてその生を生きた。流人もその要請によくこたえたという。
 古くから新島では「共同して仕事に当たる」ことを「モヤイ」と呼ぶ。私たちにとって「モヤイ」とはそういう歴史とロマンを秘めた言葉である。
 ここに集う人々よ、物言わぬモヤイの像はあなた達に何を語りかけるであろうか。
願わくば私たちと共にその、遥かなる祖先の声を聞かれむことを。

            東京都新島村長 (当時の村長名)
            新島石彫グループ代表 (当時の代表名)


 って、今度はアレです。当時の村長の名前で出ていますね。ほむ。

蒲田モヤイ覚え書き

 これは蒲田。誰かウェスパの画像をくださったら、こちらで是非収納させていただきたいと思います。(^^)

 
 2007 1月~2月の記事に加筆修正。
 研究発表でした。(^^)


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